なにかが見えてくる
わが家のページ 2011
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5月      野外ピザ / 顎関節症 / 健診結果 / 歯科医院 言い忘れ / 下水道科学館
野外ピザ
 8日はスカウト活動があり、子供ミサの後、教会の庭でピザを作った。自分達で生地を捏ねて焼くのだが、オーブンで焼いたものはうまく焼けたが、バーベキュー用のコンロで炭火焼きにしたものは、火力が強すぎて、裏が真っ黒焦げになり、食べるのを敬遠されてしまった。しかし、全体としてはなかなかよい出来であった。
顎関節症
 おじさんは不覚にも顎関節症なるものになってしまった。1ヶ月程前からおかしいなあと思っていた。口の開け閉めの際、カクンカクンと顎の関節がぎこちない。最初の頃はそのうち直るだろうと高をくくっていたが、次第にこめかみで感じるぎこちない動きと嫌な音が捨て置けぬほどになり、ものを食べると痛みを感じ、食事をするのにも支障が出るようになった。こうなると、さすがのおじさんも心配になり、病院に行こうという気になる。そこで何科へ行けばいいのかと調べてみると、口腔外科というところで、歯医者さんの管轄らしい。電話帳で口腔外科のあるところを探し、受診した。おじさんは生まれつき歯が丈夫なので、歯医者には生まれてこの方数回しか行ったことがない。歯医者の雰囲気には慣れていないが、怖がるような年ではない。
 症状を説明すると、顎関節症のようだが、レントゲンを撮って詳しく診てみようということになった。顔を固定され、顔の回りを10cmか20cm程離れてカメラが回るという、結構圧迫感を感じるものだった。その後30秒も経たないうちにレントゲン写真を見せられた。顎の骨や関節部には特に異常は見られない。おそらく軟骨の不具合であろう。特に薬も処方できないし、治療も施しようがない。今後良くなったり悪くなったりの繰り返しになるだろうが、うまく付き合っていくしかない。ということだ。おじさんは何らかの薬や治療を期待していたので、この話を聞いて愕然とした。直らないのか。このままうまく付き合うしかないのか。年だから仕方がないのか。複雑な気持ちのまま歯医者さんを出た。
健診結果
 顎関節症の診察と時期を同じくして、職場で受けた健康診断の結果が手元に届いた。がたがたである。着実に老化が進んでいるのかどうか、色んな所に要注意のチェックが入っている。まず、コレステロール。これは15年ほど前から引っ掛かっているが、数値が少し悪くなっている。特に太っているわけでもなし、食生活が悪いわけでもないと思うのだが、一向に良くならない。数年前から一日2Lを目標に水を飲むようにしているが、そのおかげで一時数値が改善されたと思ったが、今年はまた悪い数値に戻ってしまった。そして、診断名が脂質異常症となっていて、要治療という所見なので、少し気落ちしている。
 コレステロール値が高いのには何らかの原因があるのだろうけれど、おじさんにはよく分からない。脂質の多い食べ物を特に多く摂っているわけでもなく、だから太ってもいない。いや、ちょっと待てよ。そう言えば、若い頃は脂の多い食べ物が好きで、よく食べたように思う。特に、中学に上がる頃までは、大きくなったらお相撲さんになるのか、と言われるくらいよく肥えていた。ご飯もよく食べたし、特に肉の脂身を好んで食べ、すき焼きの時などは、鍋に脂を引くための脂の固まりは必ず食べた。中学以降は中肉中背の普通の体型を維持しているが、数年だけ維持できなかった時期がある。それは、大学を卒業して、初めて働きだした職場(学校)が自分の通っていた学校とは全く異質なもので、いわゆるカルチャーショックなるものの大きな一撃を受け、それが毎日のことなので、大きな精神的ストレスとなり、甘いものをたくさん食べるようになった。酒は弱い方なので、甘いものに走ったのだが、今思えば、アル中にならずに肥満程度で治まって幸いだった。しかし、その肥満も転勤と同時に数年で治まり、その後は今の中肉中背を保っている。一度コレステロール値の件で知り合いのお医者さんに診てもらったが、それほど心配することもないということだったので、数値は高いものの一応安心して毎日を送っている。
 コレステロール以外に、ここ何年かチェックが入っているのが胃である。5年ほど前、胃のバリウム検査で何かポリープのようなものが見つかり、胃カメラによる精密検査を受けるようになった。結果は特に問題なかったのだが、要観察ということで、その後毎年胃カメラを飲んでいる。去年の胃カメラで、続けて数年飲んだことになり、年齢による胃炎程度の異常しか見られないので、今後は胃カメラではなく、バリウムによる胃検診を受けるように言われた。そして、早速今年の健診で肥厚性胃炎という結果が出た。要観察という所見なので、大したことはないと思うが、いずれにしても年をとると、何かとガタが出てくるものだ。
 要観察と言えば、心電図もそうだ。何年か前に一度、何とか波とかいう診断が出たが、その後何もなく、一時的なものだと思っていたが、今回の健診でも深いQ波という診断が出た。何がどう悪いのかよく分からないので、ネットで調べてみると、心筋梗塞の一要因だと書かれている。願わくは、これも一時的なものであればいいのだが、毎年心電図で引っかかるようだったら、何しろ心臓のことだから少し心配だ。
 要観察を飛び越えて、要精密検査という所見が出たのは聴力だ。聴力低下という分かりやすい診断になっている。年をとってから、聴力検査で高い方の音域が聞こえにくかった。年をとると誰しも高い音が聞こえにくくなるらしいので、仕方がないかと特に気にもしていなかったが、今回意外にも要精密検査という所見が出た。ということは、加齢によるものではないのだろうか。加齢以外に原因があるのなら、一度診てもらうことも必要だろう。しかし、その結果、耳垢が溜まっていますね、などと言われるだけではなかろうか。実際のところは分からないが、すぐに耳鼻科に行く気にはなれない。日常生活で不便を感じるほど聞こえにくくなったら考えよう。
歯科医院 言い忘れ
 顎関節症を診てもらった近所の歯科医院のことで、言い忘れたことがあるので追記しておく。その歯科医院は個人の歯医者さんではなく、多くの医院を持っている。お店で言えば、チェーン展開しているような感じだ。家の近所にも、駅の改札を出てすぐの所と駅から数分の所に2店舗、いや2院ある。チェーン店、いやチェーン院らしく、店員教育ならず職員教育も均一化されており、おじさんは患者というより、お客さんのような気分になった。
 中に入ると、受付と待合室になっており、診察室らしきものが見当たらない。受付を済ませしばらく待っていると、診察室に案内された。どこに案内されるのかと思いきや、向かった先はエレベータである。家庭用のような小さなエレベータに乗って2階へ行くと、そこが診察室になっている。仕切りのある診察ブースがいくつもあり、各ブースに設置されたテレビモニターにはビデオが放映されている。待ち時間や治療中にビデオでも見てリラックスしてもらおうというものかもしれないが、特に治療中などはそんな余裕はないはずだが...
 診察が終わると、またエレベータまで案内され、驚いたことに、歯科衛生士だと思うが、エレベータの扉が開くのを待っていてくれ、おじさんが中に入ると、デパートのエレベータガールよろしく、「ありがとうございました」と深々と頭を下げ、見送ってくれた。扉が閉まった後もその姿勢を崩さず、その結果、おじさんはその人の後頭部を見ながら、1階へと降りて行くこととなった。
下水道科学館
 22日はボースカウトの活動でハイキングに行く予定だったが、あいにくの大雨で予定を変更し、下水道科学館に出かけた。子供たちは下水道の仕組みにはあまり関心がないようで、下水道について楽しく学んでもらおうと工夫された遊びに夢中のようだった。


6月      芋の植え付け / 出張 / 夏の旅行 / 顎関節症 その後 / 出張  追記 / 防災センター
芋の植え付け
 12日はスカウト活動で芋の植え付けを行った。おじさんは所用のため参加できなかったが、娘は楽しく参加していたようだ。秋の収穫が待ち遠しい。
出張
 出張で北海道へ行ってきた。去年は同じ時期に韓国へ行ってきた。今の職場に移って、この時期に出張に出ることが多い。出張に出て頭が痛いのが、娘と妻へのお土産である。どんなものがいいのか頭を悩ませて、仕事に集中できない。基本的にその土地でしか手に入らないものを探すのだが、これがなかなか難しい。お土産物屋さんで売られているようなものは、その土地の名前を入れているだけで、物自体は特にその土地特有の物ではない場合が多い。それに、そこでなくても、家に帰ってからでも手に入るようなものも多い。さらには、悩んだ末に買って帰っても、気に入ってもらえるかどうかが不安だ。そういうことを考えると、なかなか決まらず、時間を無駄にしてしまう。実に頭の痛いことだ。
夏の旅行
 今回仕事とは言うものの、家族を残し、半分旅行気分で(実は色々と問題が起こり、旅行気分どころではなかったのだが... )、よその土地に4日間滞在した。おじさんだけ旅行気分(何度も言うが、全く旅行気分を味わえなかったのだが... )を味わって、家に残してきた家族に少し申し訳なく感じるので(感じる必要などないようにも思うが、そこはおじさんである)、そろそろ夏の家族旅行のことも考えなければならない。実はこれもなかなか頭の痛い話で、行き先、ホテル、費用などを考えながら、休みの取れる日を決める。それだけのことだと思う向きもあろうが、おじさんは費用や旅行先でのプランなど、いろんな点を考慮して決めるので、ああ、そうそう、言い忘れていたが、家族の希望も決める際の大きな要素としてあるので、なかなか決まらない。参考にするため、旅行社のパンフをもらってきて、行き先やホテルを検討する。これからその作業に入るのだが、仕事から帰ってきても、子供がいると、自分の時間がなかなか持てないので、検討もスムーズには進まない。あまり直前になると、こちらの都合のいい日程でホテルの部屋が取れなかったりするので、なるべく早く決めたいのだが、頭の痛い話だ。
顎関節症 その後
 診てもらって1ヶ月程たつが、その後特に良くも悪くもならず、小康状態が続いている。痛みはないが、食事をすると、右顎の関節部がカクカク言う。強く噛んだり、何度も噛んだりすると、カクカクと衝撃が加わるので、ついあまり噛まずに食べ物を飲み込むようになってしまう。十分噛み砕かずに飲み込んでしまうと、消化しにくく、胃に大きな負担をかけてしまう。これからは食べ物や食べ方に気をつけなければならず、好きなものを好きなように食べることができないのは、非常につらいものがある。何とかしなければならないと思い、一つ考えているのは、顎関節の軟骨補修のためにグルコサミンを摂ろうと思っているのだが、効果がないと聞いたりもしているので、少し二の足を踏んでいる。しかし、軟骨と言えば、膝も最近痛むことが多いので、膝関節の軟骨補修にもなるかもしれないし、とにかく試してみようと思う。その後改善されなければ、また別の口腔外科を受診しようかとも考えている。
出張 追記
 先日、出張で北海道へ行ったが、お土産を考えるのが頭が痛いという話をした。その際言い忘れたが、笑える話が二つあるのでここに追記する。
 一つは新千歳空港で預けた荷物である。預ける際に、ビンなどの割れ物はないかと聞かれたので、半分冗談で、ビンはないが、お菓子が割れて、割れおかきになるかもしれない、と言った。女性の係員はニコッともせず、淡々と自分の仕事をこなしていた。大阪に到着して、ターンテーブルで荷物を受け取ると、荷物に何やら赤いタグがついている。何だろうと見てみると、"Fragile" と書かれたタグである。ご丁寧にこのようなタグをわざわざ付けてくれたんだと思っていると、さらにその下に手書きされた文字を見て、思わず吹き出してしまった。悪い意味で笑ったのではなく、ほんわかした気持ちになって、つい笑みがこぼれたという感じだろうか。いや、笑みがこぼれたというより、やはり、笑みが吹き出したという感じだろうか。いずれにしても、一乗客のためにここまで懇切丁寧に仕事をしてくれたことに感謝する。しかし、ひょっとしたら、こちらの冗談に対し、冗談で答えてくれたのかもしれない。それならなかなかの人だ。割れ物注意のタグにわざわざ手書きされていたのは、「おかし」の3文字だった。
 さて、もう一つは、娘に買ったお土産のストラップだ。いつもお土産を買うのに頭を悩ませるのだが、とにかく娘には何か買って帰らなければならないという使命感に駆られ、旭山動物園のしおりとハンカチを買い、それに加えて、夕張メロンのかわいいストラップが目に付いたので、つい買ってしまった。それは、パッケージに「僕らは北海道で育ちました!!」と書かれた夕張メロンのかわいいキャラクターだった。娘がかわいいと言って気に入ってくれたのは良かったのだが、裏に書かれた製造会社の住所を見てびっくり仰天、これまた吹き出してしまった。その住所を娘と一緒に声を出して何度も読んで、何度も吹き出す始末。住所を読むたびに大爆笑。それはおじさんの職場のごく近所だったから無理もない。北海道で買ってきたのに、近所で作られていたなんて、わざわざ北海道まで買いに行く必要などなかったのに。おじさんと娘の笑いは止まらない。おじさんは好奇心に駆られ、仕事の帰りにその会社を探してみたが、見つからない。ますます好奇心に駆られ、さらに調べてみると、なんと、少し前に倒産していた。もう生産されることのないレア物と言えるだろうか。そういう意味では貴重なものなのだろうけれど... こういうこともあるんだなあ。「事実は小説よりも奇なり」である。
防災センター
 26日、スカウト活動で大阪城と防災センターへ。防災センターへ行くことにはなっていたが、予約が遅い時間しかとれず、時間調整でその前に大阪城へ行くことになったらしい。おじさんはその辺の事情を聞かされていないので、「らしい」と言うしかない。
 阪急電車で梅田まで出て、地下鉄に乗り換え、谷町四丁目へ。以前と同様にスカウト各自で必要な切符を購入することを提案したが却下された。デンリーダーがスカウトから交通費を集め、まとめて切符を購入するというふうにするつもりだったようだが、折衷案で、デンリーダーが交通費を集め、全員分のプリペイドカード(阪急ではラガールカードと言う)を購入することになった。各スカウトが用意してきた交通費と同じ額面のカードを買うのなら、お釣りもないし、金額に端数もないし、目的地によって金額が違ったりということもないし、それならスカウトでも簡単に買える。それに、ただカードを改札機に入れるだけなら、その都度行き先を確認して自分で切符を買うのと違って、どこで降りるのかという意識もないし、運賃がいくらかという意識もない。大人ならそういうことがすべて分かった上でのカード使用なので、いちいち切符を買う必要もなく、便利に使えていいだろう。しかし、子供はそうではない。この電車に乗るよ、ここで降りるよ、と言われたままに乗り降りするだけで、自分で乗り降りしている、自分で行動しているという意識はない。だからこそ、そういう意識を持たせるために、各自自分で切符を買わせたい、とおじさんは思うのだ。それも勉強なのだ。
 ところで、大阪城天守閣にはずいぶん久しぶりに入った。中は資料館になっている。以前に入ったのはいつ頃だっただろうか。小学生の頃か、中学生の頃か、はっきり覚えていないが、いずれにしてもずいぶん昔の話だ。その頃も資料館になっていたが、かすかな記憶では、今のようにエレベータも冷房もなく、床は木で、その他の部分も黒っぽい色の木が基調になっていて、全体的に薄暗い感じだったように思う。今は全体に明るい雰囲気で、展示だけでなく、映像なども利用して、来館者の興味を引いている。子供たちもそれなりに楽しくすごせたように思う。
 大阪城から阿倍野防災センターへ移動した。天王寺駅から歩いて5分程のところにあったが、天王寺駅付近もずいぶん久しぶりだったので、その変わりように仰天してしまった。付近の一角は暗い感じの商店街から明るいショッピングモールへと様変わりしていた。ところで、防災センターだが、災害への備えや災害が起きた際の対処法など、実際に疑似体験ができて、なかなか楽しい施設だった。たとえ疑似体験であっても、「楽しい」なんて言うと、東北で実際に被災された方々からお叱りを受けるかもしれないが、そういう疑似体験を通じて、実際の災害に備えることの大切さや災害への対処の仕方などを正しく学ぶことができ、本当に有益な施設だと思う。地震体験では、あの忌まわしい阪神淡路大震災と近い将来起こると予想される南海地震の揺れを体験することができた。子供の中には怖がる者もいたが、全員無事に体験し、日頃からの備えの大切さを再認識したものと思う。


7月      防災センター 追加 / 防災センター さらに追加 / 映画の映像? / 六甲を越えて有馬へ
防災センター 追加
 先日、阿倍野防災センターで阪神淡路大震災の揺れを疑似体験した。その時は、ああ、こんなだったか、という感じだったが、後になって、あの時の恐ろしい体験が蘇ってきた。おじさんは大阪の北部に住んでおり、被害の大きかった神戸とは少し離れている。それでもかなり大きな揺れを感じた。震度5弱と発表されたように思うが、おじさんはマンションの高層階に住んでいたので、実際に感じた揺れはそれをはるかに上回るものだったろう。阪神淡路大震災、マグニチュード7.3、観測された最大震度7。16年前の1995年1月17日(火)、午前5時46分、おじさんは布団の中で突然大きな揺れを感じ、今までの地震とは違うと直感した。家中のものがガタガタと大きな音を立てて揺れている。物と物とがぶつかり合っている音を聞きながら、布団の中にじっと身を潜め、揺れが治まるのを待った。恐る恐る布団から起きだすと、家の様相が一変しているのに仰天した。テレビは移動し、食器棚は倒れてはいないものの、観音開きの扉が大きく開き、中の食器がほとんど床の上に飛び散っていた。キッチン、リビングの床の上は食器やガラスの破片だらけで、歩くこともできないほどだった。書斎へ行くと、床に本とガラスの破片が散乱していた。書棚は食器棚と違って引き戸になっていたため、本がガラスを打ち破り、外へ飛び出したのだ。書棚自体も半分倒れかけ、ガラスだけでなく、本体の木の部分も損傷を受け、処分せざるを得なかった。
 その日はその惨状にショックを受け、何もする気が起らなかったが、それでも少しずつ家の中の片付けをしないわけにはいかなかった。幸い、電気、ガス、水道は大丈夫だったので、地震の情報を得ようとテレビをつけてみると、今までに見たこともなく、想像すらつかないような惨状が映し出されていた。高速道路は倒壊し、商業ビル、マンション、住宅、建物という建物は損壊し、地面は割れ、元の姿を留めているものは一つもなかった。中でも大きな被害を受けた神戸の惨状は、地震後の火事の被害も相まって、ただただひどいものだった。おじさんの住んでいる地域は家財が損傷したぐらいで、建物が倒壊するほどの被害は免れたが、それでも、おじさんの住んでいたマンションは半壊と認定され、大規模補修工事が行われた。神戸の惨状、それに亡くなられた多くの人々のことを思うと、不幸中の幸いと言って、胸を撫で下ろしていいものか。不幸中の不幸という結果になった人たちが多くいるというのに... もう16年も経っているが、一日も早く元の生活を取り戻されんことを祈るばかりだ。
防災センター さらに追加
 東日本大震災はまだまだ生々しく、あまり多くを書くことができないが、それを知った時の様子を簡単に書いておく。おじさんは職場で会議中だった。会議中、ほとんどの人が何も感じない中、数人の人がかすかな揺れを感じているようだった。おじさんもその一人で、うっかりすると見過ごしてしまうような、本当にかすかな揺れだった。どこかで小さな地震が起きたんだなという認識ぐらいで、特に何とも思わず会議を続けた。会議が終わって部屋へ戻ると、何人かの同僚がテレビをつけて騒いでいる。東北地方でマグニチュード9.0、最大震度7(宮城県で記録)の地震が起きたことをその時初めて知った。2011年3月11日(金)14時46分のことだったと言う。帰宅してテレビをつけると、地震の報道ばかりで、改めて大惨事が起きたと認識させられる。プレート型巨大地震が起き、大津波が襲い、原発が被災し放射能が漏れる、といった報道はもう周知の通りだ。被災地の復興は遅々とした感じだが、物心共に一日も早い復興を願いつつ、被災された皆さんには心からお見舞い申し上げます。と言うことぐらいしかできないのが、おじさんには辛いのだ。
映画の映像?
 パニック映画やアクション映画では、そんなことはないだろうと思うような、現実からかけ離れた映像を巨額の制作費をかけて作り出し、観客の目を釘付けにする。観客もその辺のことが分かった上で、作られた映像の世界へ引き込まれ、作られた恐怖感を楽しみ、スカッとするのだ。ジェットコースターもそうだ。安全だと分かっているから、"怖い"が"楽しい"になる。恐怖感が快感に変わるのだ。しかし、安全かどうか分からなければどうだろう。そんなものに誰が好んで乗るだろうか。恐怖感は致命的恐怖感となり、命を失うことになる。映像の世界でも、今まではスカッとした作られた映像が、実際現実に起こればどうだろう。作られた楽しい恐怖などではなく、紛れもない正真正銘の恐怖を身をもって体験することになる。生死をも巻き込んだ、紛れもない恐怖である。そのような映像を目にすることが多くなったようにおじさんは思う。実際の戦争の生々しい映像、凶悪犯罪の映像、テロ、災害等々、多くの信じられないような映像が、テレビを通して我々の目に入ってくる。
 中でも、おじさんの脳裏に焼きついて離れないのが、2001年9月11日(火)の米国同時多発テロだ。現地時間で9月11日の朝、日本時間で9月11日の夜、おじさんは何気なくテレビをつけた。すると何か映画を放送しているように思えた。チャンネルを変えても変えても同じ映画を放送している。しばらく何のことか理解できなかったが、それは映画ではなく、紛れもない実際の映像、その時ニューヨークで実際に起きていた生の映像だった。あのツインタワー(世界貿易センタービル)に飛行機が突き刺さっている。事故かと思いきや、もう一方のビルにもまた別の飛行機が突入した。そして、二つのビルはそのまま跡形もなく崩れ落ちてしまった。これが娯楽映画の映像であったならどんなに良かったことか、と何度思ったことだろう。しかし、おじさんの願いも虚しく、紛れもなくニューヨークで実際に起こっていることであった。そして、アーリントンの国防総省でも、ジャンクスヴィル(連邦議会議事堂かホワイトハウスを標的にしたと推測されるが、墜落にて未遂に終わる)でも。これらによって、3,000人もの尊い人命が奪われた。そして負傷者は6,000人以上にものぼった。なんという恐ろしいことか。これが人間の為せる業なのか。テロ(terror / terrorism)というのは恐怖のことである。まさしく恐怖そのものである。
 また、今年の東日本大震災直後の大津波の映像には本当に恐ろしいものがある。パニック映画の作られた映像と間違えても不思議でないような映像が現実のものとして東北地方で起こっていた。地上にあるものすべてを巨大な波が一瞬にして持っていってしまった。車が、船が、大きな家が、まるで小さな模型のようにぷかぷかと浮かんで、ものすごい力の大きな波に運ばれていってしまった。実際は波があらゆるものを飲み込み、すべて根底から根こそぎ押し流してしまったのだが、波の表面だけを見ていると、大きくて重いものを押し流すというより、小さくて軽いものを水の上に浮かべて運んでいくという感じだった。もちろん巨大な力が働いているのだが、巨大すぎてそのように見えないのが不思議だ。いずれにしても、またもや、映画の一シーンであればよかったのにと思うばかりだ。一日も早い復興を願いたい。
六甲を越えて有馬へ
 ボーイスカウトの活動で、芦屋から六甲を越えて有馬まで15kmを歩くハイキングを敢行した。小学3年〜5年10名ほどを連れて行った。まずは阪急芦屋川駅から高座の滝、ロックガーデンを経て、風吹岩を目指す。風吹岩までは家族で何度か行ったことがある。澄んだ水の流れ落ちる高座の滝を過ぎると、ちょっとしたロッククライミングの気分が味わえるロックガーデンにやってくる、手と足を使って岩場を登っていくので子供たちは大喜び。岩場を過ぎてしばらく行くと、眺望抜群の風吹岩に到着する。ここで下界を見下ろしながら弁当を開く。と思ったが、かんかん照りのため木陰に避難。昼食後、岩の上から下界を見下ろし、爽快な気分も束の間、六甲最高峰近くの一軒茶屋を目指し、ハイキングを再開。家族のハイキングなら、ここから阪急岡本駅へ向け下山し、駅近くのお店で少し休憩して帰るのが定番だ。それでも結構なハイキングコースだが、今回は風吹岩からさらに上を目指して歩いていく。なだらかな登りがあったり、急な登りがあったり、そういう山道を時間をかけて着実に登っていく。7月下旬にしては例年より暑さがましだったため、ばててしまう子供もなく、何とか一軒茶屋まで辿り着いた。
 娘は前回の中山〜清荒神ハイキングの途中で、先頭と最後尾の間隔が大きく開いたちょうど真ん中を一人で歩くことになり、仲間の姿が見えず、道も分からず、心細くなっていたところに、ちょうど通りかかったハイカーに助けてもらい、何とか仲間の集団に追い付くことができたらしい。(らしい、というのは、おじさんは仕事でそれには参加していなかった。)そういう嫌な経験もあって、今回のハイキングも少し不安がっていたが、全くそういう気配もなく、元気に一軒茶屋まで歩くことができた。ただ、一軒茶屋近くのトイレが悪かった。臭くて、汚くて、虫が多くて、ということで、娘はトイレがしたいのにできない。臭いけど、汚いけど、虫が多いけど、少しの間だから我慢してしなさい。と何とか言い聞かせて、用を済ませることができたが、おじさんから見ても、足を踏み入れるのが嫌なほどひどいトイレだった。
 デンリーダーが車で先回りして、用意してくれていた水やアイスなどを体に補給して、有馬までの最後の行程に入る。一軒茶屋から有馬までは魚屋道と言って、なだらかな下りが続くだけだが、ゴロゴロした石が多く歩きにくい。下手をすると簡単に足首を痛めてしまう。子供たちはあまり気にせず歩いていたが、おじさんは足首を痛めないよう気をつけて歩いた。そして何んとか有馬まで辿り着いた頃には、7月だからまだ明るいものの、冬場ならもう暗くなっているであろう時刻になっていた。
 有馬の温泉街を歩いてバス停まで向かうが、途中は誘惑だらけで、家族のハイキングなら、足湯に浸かり、外湯に入り、お土産屋さんを覗きながら、ゆっくりバス停へ向かうのだろうが、今回はそうはいかない。一本でも早いバスに乗るため、脇目も振らず、ただ黙々とバス停に向かう。有馬から宝塚までバスで30分。宝塚まで来れば、もう戻ってきたという感じだ。阪急電車に乗り、活動拠点の教会まで帰ってくると、皆で近くの銭湯へ。銭湯から戻ると食事が待っている。この日は教会に一泊するので、一人一つずつマットと寝袋が支給される。男女隣り合った部屋の床の上に自分の寝るスペースを確保。歯磨きをし、トイレを済ませ、いざ就寝。さすがに、一日中山を歩いて疲れているらしく、いつもよりもすんなりと寝てくれた。おじさんたちはまだもう少し仕事が残っている。
 翌朝は教会内の清掃をして、ミサに出て、昼前に解散となった。おじさんはあまり寝れなかったので、家に帰って、お昼を簡単に食べ、娘と一緒に昼寝としけこんだ。ああ、疲れたぞ。ハイキングではなく、夜寝るのが遅かったので...


8月      小学生キャンプ / 車トラブル
小学生キャンプ
 8月はまさに矢の如く過ぎてしまった。7月末から8月初めは、娘が学校から山の学舎なるものに出かけて行った。わずか2泊3日の行事だが、いつもやかましく我が家の大将をしている娘がいないと静かでいいが、やはり寂しいものだ。帰りは今日か、明日かと待ち遠しくなる。帰ってくると、家の中の静寂が壊れ、いつもの我が家に戻ることになるが、それでこそ我が家だ。
 娘は他に2種類のキャンプに参加した。ボーイスカウトのキャンプは、今年亡くなった父の法事で参加できなかったが、六甲山での2泊3日(1泊はテント泊)のYMCAのキャンプと、貝塚の府立少年自然の家での3泊4日のJOFのキャンプに参加した。いずれも大変楽しかったようで、満面の笑顔で帰ってきた。いずれも学校の友達から教えてもらって一緒に参加したのだが、調べてみると、驚くほど多くの子供向けキャンプが企画されている。
 YMCAが各種キャンプを行っているのは知っていたが、JOFなる団体は初めて知った。ジャパン・アウトドア・ファクトリーといって、NPO法人らしい。びっくりするほど多くのキャンプが企画されており、しかも、ほとんどが定員いっぱいになるという。さらに、キャンプで子供の面倒をみるリーダー達は高校生や大学生のボランティアが大半だという。大学生ならまだしも、高校生も結構いるというから驚きだ。実際、娘のグループのリーダーも高校生だったらしい。集合・解散時に見てみると、ほとんどが若い(高校生や大学生)女性だった。みんな子供が大好きなようで、にこにこ笑いながら子供たちに接していた。キャンプ中毎日アップされる写真を見ていても、子供たちと一体となって楽しそうに活動しているリーダー達の様子が見てとれる。その姿は、おじさんが仕事で毎日接している高校生からは考えられないほど、しっかりしていて、活動的で、快活そのものであった。娘もこんなふうに明るく快活で、しっかりした娘に育ってくれればと思うばかりだ。それに、おじさんが仕事で毎日接している高校生があのような高校生であればなあと思うのである。
車トラブル
 8月初め、子供のルームランプ消し忘れにより、パッテリーが上がってしまい、バッテリーを交換する羽目になってしまった。バッテリー交換だけで済めばよかったのだが、これがこれから始まる悪夢のようなトラブルの始まりだとは、その時は露とも思わなかった。その時は、バッテリー交換という余計な出費のことばかり頭にあった。仕方がないと言えば、仕方がないが、余計な出費である。たまたま8月は車検月でもあり、8月末に出すつもりであった車検にも、この際ついでに出してしまおうと、車を預けることにした。
 バッテリー交換も車検も無事終わり、数日後、父の法事にお寺まで2時間ほど車を走らせた。高速上で少し上りになっているところで異変が起きた。どうも馬力がないように感じ、オーバードライブを解除したが、何の変化もない。おかしいなあと思いながらもそのまま車を走らせ、高速を降りた。一般道に入って信号で止まり、青になって発進しようとアクセルを踏むが、空ぶかしのような状態で、エンジンの回転数大きく上がり、エンジン音も凄いが、車は一向に進まない。大きなエンジン音で徐々に進み、少しずつ速度が出てくると、後は普通通りの走行になる。やはり変だ。故障だ。だが、走ることは走るので、何とかお寺まで辿り着いた。
 帰りは幸い何の問題もなく、快適な走行で家まで帰り着くことができた。翌日、ディーラーに持ち込み、不具合の症状を話したところ、車検直後ということもあって、大変恐縮した対応だった。調べたところ、何らかのエンジンの不具合が起こり、それをコンピュータが感知し、安全のためギアを固定するという制御が働いたのだろうという説明だった。一時的な不具合かもしれないので、しばらく様子を見て、再び起こるようだったら、また連絡ください、という呑気な対応だった。帰りは何の問題もなかったので、おじさんも、一時的なものだろうと、のんびり構えていた。その後も何の問題もなく快適に走っていたので、もう大丈夫と胸を撫で下ろした。しかし、それは一般道に限っての話だと分かったのは、8月下旬に家族旅行に出かけた時だった。
 楽しいはずの旅行が一転、悪夢に変わりかけたのは、旅行初日、目的地に向かう途中の高速道路上であった。高速道路を走行中、法事に出かけた時と同様、高速の上り坂で馬力が出ない異変を感じた。高速走行だから当然5速で走行しているが、上り坂になると通常なら自動的にギアを4速に落とすことになるのだが、以前と同様、何らかの原因でギアが5速に固定されてしまい、状況に応じた変速がなされない状態になったのだろう。今から思えば、そのままノンストップで目的地まで行けばよかったのだ。坂道であまり馬力が出ないなあ、という程度で済んでいたはずだ。しかし、一旦エンジンを切ればコンピュータ制御がリセットされると、なまじ聞いていたので、トイレ休憩を兼ねて、サービスエリアで車を止めることにした。
 トイレを済ませ、車に乗り込み、サービスエリアから高速道路上に出たときに、その異変は起こった。スピードが出ない。高速上でスピードが出なければ非常に危険である。アクセルを踏んでもエンジン音が大きくなるだけで、スピードが出ない。さらに踏み込むと、物凄いエンジン音とともに、回転数が6000〜7000回転にもなるが、スピードが出ない。40キロが精一杯である。おそらく今回は、以前のように高速走行中にギアが5速に固定されてしまったのではなく、サービスエリアを出たときに、発車時の何らかの不具合で、ギアがローに固定されてしまったのであろう。大変なことになってしまった。このままでは、高速上ではあまりにも危険である。高速上なので、Uターンしてサービスエリアに戻ることもできず、とにかくエンジンの轟音とともに可能な限り前に進み、道路脇の待避場所を探すことにした。幸運なことに、少し車を走らせたところですぐ待避場所が見つかった。早速そこに車を止め、エンジンを切った。よし、これでコンピュータ制御がリセットされたはずだ。順調に走ることを祈ってエンジンをかけ、車を発進させた。しかし、同じである。リセットされていない。また、次の待避場所まで行き、車を止め、エンジンを切る。祈りながらアクセルを踏む。これを2〜3回繰り返しただろうか。ここまで来ると、おじさんも心安からず、レッカー移送、旅行キャンセルという最悪のシナリオが頭をよぎった。
 妻も母も不安げに黙り込んでしまい、娘は心配のあまり泣きべそをかく始末。対処の方法を教えてもらおうと、レスキューダイヤルに電話すると、レッカー移送の手配しかできないと言う。それは最後の手段で、もう少し手を尽くしてから、どうしてもというときにまた電話すると言って電話を切った。それから事情の分かっている自宅近くのディーラーに電話した。すると、エンジンが冷めるまでリセットされないので、冷めるのを待つしかない、ただ、それでもリセットされるかどうか保証できない、と言う。高速道路上に立ち往生している今としては、一途の望みを託して、待避帯でエンジンの冷めるのを待つしかない。20〜30分で冷めるだろう。レッカー車に来てもらうにしても30〜40分はかかるだろうから、まずはこのままエンジンの冷めるのを待ってみよう。
 エンジンを切っているため、車内は次第に暑くなってくる。窓を開けてもあまり変わらない。おじさんは注意して外に出、ボンネットの中に手を入れた。まだ熱い。まだ待つしかないようだ。諦めて車内に戻ると、雨粒がフロントガラスにかかり始めた。恵みの雨だ。雨のおかげで、エンジンの冷めるのが少し早まってくれるだろう。30分ほど経って、十分冷めているのを願って、エンジンキーを回した。さて、問題なくギアが切り替わってくれるだろうか。不安を抱きながらも、アクセルに足をのせた。アクセルを踏む足に少しずつ力を入れていく。車は動き出し、少しずつ加速していく。その後も順調に加速してくれることを願って、さらに踏み込んでいく。すると、なんと今までのトラブルがうそのように、順調に加速していき、80キロそして100キロまで何の問題もなく加速できた。よかった。これで大丈夫。本当にほっとした。妻も娘も母も、こわばった顔がやわらぎ、やっと笑みがこぼれた。これで目的地まで止まらずに行けばいい。たとえ5速に固定されたとしても、ローに固定されるよりましだ。目的地に着いてからのドライブも少し心配だが、一般道なら大丈夫なはずだ。思った通り、旅行中はギアトラブルもなく楽しく過ごせた。ただ、旅行中ずっと雨にたたられっぱなしだったが...
 さて、楽しい旅行も終わり、いよいよ帰路につく時がきた。つまり、高速道路に入る時がきた。帰りは大丈夫だろうか。不安がつのるが、とにかく行くしかない。ガソリンを給油し、満を持して高速に入った。しばらく走ると、やはり5速に固定されてしまうという同じようなトラブルが起きたが、もう対処法は分かっている。必要もないのにサービスエリアに立ち寄るということはせず、食事時になるまでそのまま走り続けた。そして、食事時にサービスエリアに入り、ゆっくり食事をしている間ボンネットを開けておいて、十分にエンジンを冷ました。その方法がうまくいき、発車時にギアがローに固定されることなく家まで無事辿り着くことができた。やれやれ。


9月      車トラブル その後
車トラブル その後
 旅行から帰って早速翌日にディーラーへ車を持って行った。以前は5速固定だけだったが、今回はロー固定まで加わった、と症状を説明し、詳しく検査してもらうことにした。その結果、エンジンの横にあるCVTとかいう装置が不具合を起こしているという。その装置はかなり高価なもので、交換修理すると、工賃含めて50万ほどするという。そんなにかかるのなら、もう10年近くも乗っているし、いっそのこと新車に乗り換えるかどうか考えると言って、とりあえず未修理の車に乗って店を出た。しばらくして、ディーラーから電話があり、メーカーと話をした結果、保証期間はとうに過ぎているものの、走行距離、定期検査、車検状況などを考えて、部品は無料で用意するので、工賃(10万程)だけ負担してもらって修理したいと言う。10万というのも痛いが、今は新車を買うほどの余裕はないし、仕方がないかと修理をお願いし、部品の入荷を待つことにした。
 普段一般道を走る限りでは問題ないので乗っているが、自動車専用道で80キロ近く出した時には、またギアが5速に固定されてしまった。症状は悪化しているのか。一般道でも同様のトラブルが起こるようになるのか。不安が走る。部品の入荷はまだかと思っていたところに、ディーラーから連絡があり、入荷がいつになるか、めどが立たないという。困ったが致し方ない。ただ、彼岸の墓参には高速を使うので代車があれば借りたいと言うと、申し訳ないが代車は全部出ていると言う。これも仕方がないので、まあ何とかなるだろうと思い、電話を切った。ところが、翌日ディーラーから再度電話があり、部品の入荷のめどが立たず迷惑をかけるので、部品が入荷して修理が済むまでレンタカーを用意したと言う。それはありがたいが、大変恐縮だ。一日だけ代車を借りるだけでいいのにと言うと、迷惑をかけているので気を遣わなくていいと言う。それから3週間そのレンタカーを使わせてもらったが、修理待ちの車と比べて、燃費がいいのに驚く。倍ほど違う。新車に乗り換えたいが、今は余裕がないので我慢しておこう。
 さて、9月も終わり近くになり、ようやく修理が完了したという連絡を受けた。動作テストもしたので大丈夫だが、もし万が一にも何かあれば連絡してくれと言う。もちろん、言われなくても連絡するが、その必要がないことを願いたい。やはり乗り慣れた車はいい。


10月      南海電車
南海電車
 おじさんは普段阪急電車を利用している。平日の通勤も休日のお出かけも阪急電車だ。阪急電車と言えば、例の小説と映画で一躍有名になったが、おじさんが利用しているのは小説の舞台になった今津線ではなく、梅田から宝塚までの宝塚線である。阪急電車は梅田ターミナルを出て二駅目の十三で大きく三つの路線に分かれる。西へ向かって神戸三宮まで(それ以西は他社線に乗り入れ)行く神戸線、北へ行き途中で西の方へ宝塚まで行く宝塚線、そして、北東へ行けば京都河原町まで京都線が延びている。これら三つが幹線となっており、それぞれにいくつかの支線が枝分かれしている。神戸線の塚口から伊丹まで伊丹線が延び、夙川から甲陽園まで甲陽線が延びている。宝塚線では石橋から箕面まで箕面線が延び、宝塚から神戸線の西宮北口を経由して今津まで今津線が通っている。西宮北口で線路が分断されていて、一旦電車を降りて乗り換えなければならないが、宝塚から今津までが今津線といって、小説「阪急電車」の舞台となった線である。さらに京都線では、淡路から北千里まで千里線が延び、桂から嵐山まで嵐山線が延びている。
 ところで、ここでは阪急電車について語ることが目的ではない。タイトルのように南海電車について少し話したかっただけである。それも、しょうもないことなので初めに断っておく。さて、南海電車には普段乗る機会がないが、先日出張で乗車することになった。南海電車はなんば及び汐見橋から和歌山や高野山方面に延びている。それほど遠くまで出かけたわけではないが、座席に座った途端に感じたことがある。(しょうもないことなので再度断っておく。)いつも座り慣れた阪急電車の座席よりも、南海電車の座席の方が少し硬く、それに少し高いように思う。座席が硬く高いので腰が楽だ。おじさんにとってはありがたい硬さと高さだ。ただそれが言いたかっただけなんです。しょうもない話ですみません。


11月      風呂場で転倒
風呂場で転倒
 おじさんも年である。お風呂で体を洗っているときに、足元の石鹸で滑って転倒するという、漫画のようなことをしでかしてしまった。腰骨を強く打ち、痛さでしばらく倒れたまま動けなかった。それでも何とか痛さをこらえて起き上ることができた時にはもう5分ほど経っていただろうか。痛みはあったものの、しばらく様子を見ることにしたが、2、3日しても、畳の上に寝転んでも、車の柔らかいシートの背もたれにもたれても、打ったところが当たると激痛が走り、尋常な怪我ではないことを示唆しているようだった。鋭い痛みが走るたびに、「この程度の怪我などほっといたら治る。医者に行ったところで湿布薬が出るのが関の山だ」という気持ちが萎えてき、骨がどうにかなったら大変だと、近くの整形外科を受診することにした。
 レントゲンを撮ったところ、特に骨折も見られないし、大きなひびも見られない、ひょっとしたら、レントゲンに写らない程度のわずかなひびが入っているのかもしれない、と言って、湿布薬を処方された。やはり湿布薬だ。それならわざわざ受診する必要がなかったが、それは結果論で、受診しなければ怪我の状態が分からない。まあ、湿布薬なら、貰っておけば(実際は支払っているので、買っておけば、だが)また打ち身や筋肉痛にでも使えるだろう。ところで、不思議なことに、でもよくあることだが、医者に行くと、翌日あるいは翌々日ぐらいには、もう薬が要らないほど良くなっていることがよくある。今回もそうだ。2、3日湿布薬を使っただけで、多くが未使用のまま残っている。まあ、また別の機会に使うことにしよう。


12月      クリスマス会のゲーム / クリスマス会のゲーム 追記 / どんぐりのカレンダー / クリスマス会報告
クリスマス会のゲーム
 今年もボーイスカウトのクリスマス会が近づいてきた。スカウト達は例年通りクリスマスに因んだスタンツをするが、おじさんも何かゲームを一つと思って、あれこれと無い頭を捻っている。いくら捻っても、おじさんの頭ではそんな複雑なものは出てこない。いつもと同様単純に楽しめるものになるだろう。ということで、今年はピン球を使うことにした。職場で捨てられていた、ピン球の直径より少し大きい程度の、印刷原紙の円筒状の芯にピン球を入れるというものだ。ピン球は柄の付いた直径1.5cm程の小さな輪の上に乗せ、落とさないように円筒状の芯のところまで運んで行って入れる。柄付きの輪というのも捨てるもので、街で宣伝のため子供に配っている風船に付いていたものだ。自分で運んで行って入れるのだから、簡単そうに思えるが、小さな輪の上に乗せて運ぶのも集中力がいるし、筒に入れるのも、狭いので正確に入れないと入らないので、かなりの集中力を要するゲームとなった。おじさんにとってもそう容易くないので、子供達にとっては少し難しいゲームになるかもしれない。どういう結果になったかは、また後に報告することとする。
クリスマス会のゲーム 追記
 その後家で娘と何度かやってみると、やはり子供には難しいようだ。ピン球を筒に入れる以前に、直径1.5cm程の小さな輪に乗せるのすら難しいようだ。そこで、筒に入れるのはそのままで、筒まで運ぶ方法をもう少し易しい方法に変えることにした。結局、平らな面に乗せ、部屋の端から端まで速く落ちないように運ばせることにした。平らな面だが、ティッシュの箱の裏面、適当な大きさに切ったダンボールの麺、30cm定規の面、幼児用おもちゃの小さな卓球ラケット(幅10cmぐらいだろうか)、等々、色々試してみたが、おもちゃのミニラケットが見栄えも良く、一番適当なようだ。さて、実際のゲームの様子は、また後で報告したいと思う。
どんぐりのカレンダー
 クリスマス会のクラフトで、去年はキャンドルを作ったが、今年はどんぐりのカレンダーを作ることになった。どんぐりに曜日や日付を書き、爪楊枝を刺して、それをダンボールの台紙にカレンダーのように、突き刺して並べるというもので、日付どんぐりを移動させることによって、万年カレンダーとなる。(日付どんぐり31個を動かすより、曜日どんぐり7個を動かすほうが簡単だ、という意見もあるが... )ところで、材料の用意だが、ダンボールは近くのスーパーで調達。これは簡単だ。どんぐりは一人50個(月表示用12個、曜日用7個、日付用31個)必要なので、予定人数8〜10人で400〜500個必要となる。それを集めるのに一人のリーダーが手を挙げてくれた。さらに、その500個のどんぐりに爪楊枝を刺すための穴を工具で開けてくれるという。おじさんは爪楊枝を用意することにした。長さ2cmに切った爪楊枝を500本用意する。爪楊枝1本で2cmの長さのものを2本用意できるが、1本の爪楊枝を3ヶ所切ることになる。頭の部分と先の部分を切って4cmのものにし、それをさらに真ん中で2つに切る。案外その作業が大変なのだ。大変と言っても、どんぐりを500個集めて穴を開けることを考えるとずっと楽だが、2cmの爪楊枝を500本用意し終えた頃には、腕と肩が痛くなってしまった。爪楊枝を切るぐらい楽そうに見えるが、使っているとすぐ折れるくせに、切るとなると、案外かなりの力が要るものだ。
クリスマス会報告
 12月23日にボーイスカウトカブ隊ビーバー隊合同のクリスマス会があった。クリスマスの意味を絵本で読み聞かせ、歌を歌ったり、ゲームをしたり、スタンツをしたり、ビンゴゲームでプレゼント交換(一人500円程度で持ち寄っている)をしたり、クラフトをしたりと盛りだくさんのクリスマス会だった。
 その中でも、おじさん担当のゲームについて少し報告しておきたいと思う。基本的には以前書いたように筒にピン球を入れるというものだが、前夜に念のため実際やってみると、まだまだ子供には少し難しそうだった。そこで、急遽筒の口を大きくする工夫をした。これで大丈夫だろうと思ったが、当日予想外の事が起きた。ピン球を筒に入れる以前に、ミニラケットの上に水平に乗せることからできないのだ。これにはおじさんもびっくりいした。運動神経が一番良いと思われる男の子さえ満足に乗せて静止できない。ましてや、ピン球を乗せたまま筒まで走っていく、いや歩いていくことなど、何をか言わんやである。ピン球を落としたら、もう一度スタート地点に戻って、と思っていたが、急遽ルール変更。落ちた地点から続行することにした。しかし、そうすると結局、筒の真上でラケットに乗せ、そのまま筒の中にすぐ上からすべり落とすということになってしまい、おじさんの意図したのとは全くかけ離れた、全く意味の無いゲームになってしまった。おじさんの意図したバランス感覚や集中力などどこ吹く風ぞと、子供たちはただ筒に球が入ればいいといった感じだった。これもおじさんの浅はかなアイデアから至った結末であるから、誰に文句を言うこともできない。来年はもっとよく考えて、楽しいゲームを考案しよう。別に愚痴るつもりはないが、それにしても、ミニラケットにピン球を乗せるぐらいのことは、おじさんが小さい頃には難なくできていたと思うのだが... まあ、おじさんの頃には、特におもちゃを買うのでなく、自分で遊び道具を工夫して、子供なりに楽しく遊んだものだ。だから、そういうことも自然とできるようになったのだろう。何しろ、今とは時代が違うのだから...
 さて、どんぐりを500個拾って、すべてに穴を開ける作業を申し出てくれたリーダーだが、どんぐりを拾って、さて穴を開けるという段になって、里で不幸があり、クリスマス会の前日まで里に帰っていて、こちらに戻ってきたのは前日の晩だったらしい。その後、徹夜で500個のどんぐりに工具で穴を開けてくれたらしい。いやはや頭が下がる思いである。その熱意が伝わったのか、子供たちはいつになく、どんぐりのカレンダー作りに熱心に取り組んでいた。そして、皆それぞれに立派な万年カレンダーを完成させた。何せ、どんぐりを50個も使ったカレンダーである。家で有効に活用してほしいものだ。その辺に転がっているということのないように...



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