なにかが見えてくる
おじさんの戯言 (たわごと)
笑顔

笑顔について心に留めておくべき文章を見つけたので、ここに紹介させてもらう。それはおよそ次のような内容だった。

笑顔など見せる気にならない時は、無理にでも笑ってみることだ。一人でいる時なら、口笛を吹いたり、鼻歌を歌ったりしてみる。幸福でたまらないように振る舞うのである。すると、本当に幸福な気持ちになるから妙だ。ハーバード大学の教授であった故ウィリアム・ジェイムズの説を紹介する。
「動作は感情に従って起こるように見えるが、実際は、動作と感情は並行するものなのである。動作のほうは意志によって直接に統制することができるが、感情はそうはできない。ところが、感情は、動作を調整することによって、間接に調整することができる。したがって、快活さを失った場合、それを取り戻す最善の方法は、いかにも快活そうにふるまい、快活そうにしゃべることだ......」

幸福になるには自分の気の持ち方を工夫することだ。幸福は外的な条件によって得られるものではなく、自分の気の持ち方一つでどうにでもなる。何を幸福と考え、また不幸と考えるか、その考え方が、幸不幸の分かれ目なのである。「物事には、本来、善悪はない。ただ我々の考え方いかんで、善と悪とが分かれる」と、シェイクスピアは言い、「およそ、人は、幸福になろうとする決心の強さに応じて幸福になれるものだ」と、リンカーンは言っている。

次に、エルバート・ハバードのことばをじっくりと読んでいただきたい。。
「家から出る時は、いつでも顎を引いて頭をまっすぐに立て、できる限り大きく呼吸をすること。日光を吸い込むのだ。友人には笑顔をもって接し、握手には心を込める。誤解される心配などはせず、敵のことに心を煩わさない。やりたいことをしっかりと心の中で決める。そして、まっしぐらに目標に向かって突進する。大きなすばらしいことをやり遂げたいと考え、それを絶えず念頭に置く。すると、月日の経つに従って、いつの間にか、念頭を達成するに必要な機会が自分の手の中に握られていることに気が付くだろう。あたかも珊瑚虫が潮流から養分を摂取するようなものである。また、有能で真面目で、他人の役に立つ人物になることを心がけ、それを常に忘れないでいる。すると、日の経つに従って、そのような人物になっていく......心の働きは至妙なものである。正しい精神状態、すなわち勇気、率直、明朗さを常に持ち続けること。正しい精神状態は優れた創造力を備えている。すべての物事は願望から生まれ、心からの願いはすべて叶えられる。人間は、心がけた通りになるものである。顎を引いて頭をまっすぐに立てよう」

最後に、ニューヨークのあるデパートが、繁忙を極めるクリスマス・セールの期間中に掲載した、「クリスマスの笑顔」と題した広告文を紹介しておく。
 元手が要らない。しかも、利益は莫大。
 与えても減らず、与えられた者は豊かになる。
 一瞬間見せれば、その記憶は永久に続く。
 どんな金持ちもこれなしでは暮らせない。どんな貧乏人もこれによって豊かになる。
 家庭に幸福を、商売に善意をもたらす。
 友情の合言葉。
 疲れた者にとっては休養、失意の人にとっては光明、悲しむ者にとっては太陽、悩める者にとっては自然の解毒剤となる。
 買うことも、強要することも、借りることも、盗むこともできない。無償で与えて初めて値打ちが出る。
 クリスマス・セールで疲れきった店員のうちに、これをお見せしない者がございました節は、恐れ入りますが、お客様の分をお見せ願いたいと存じます。笑顔を使いきった人間ほど、笑顔を必要とするものはございません。

おじさんは真剣に考え込んでしまった。おじさんが笑顔になるのは、本当に心を許せる、好意を持てる、愛情を抱ける相手に対して、自然と顔がほころんでくる時、気持ちが本当にリラックスして楽しい気分の時である。誰かれなく、どんなときでも笑顔を見せるということができない。ある意味では、自分の気持ちに正直なので良いことだ。しかし別の見方をすると、自分の気持ちだけに正直になって、自ら自分の世界を狭めていることにならないか。相手が誰であるかに左右されず、その時の気分や気持ちに左右されず、もっと多くの人に対して笑顔になることができたら、周囲も自分も気持ちが和み、気分が明るくなり、みんなが幸せな気分になることができるのではないだろうか。今、自分を振り返って、そういうふうに思うと、今まで自分で自分の幸せの芽を摘んでいたことに気づき、そういう自分を変えなければならないなあ、と思うおじさんである。しかし、自分を変えるということが、そんなにたやすくできるものではないということも、十分承知しているおじさんであった。
(2010)


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