なにかが見えてくる
おじさんの戯言 (たわごと)
フルスイング

おじさんは休暇を利用して、家族と九州旅行に出かけた。新幹線で福岡まで行き、そこからレンタカーを借りて別府まで行き、温泉につかってのんびり静養しようと計画を立てた。せっかく福岡まで来たのだから、別府まで行ってしまう前に、福岡の太宰府天満宮にお参りすることにした。

大宰府に着き、天満宮近くの駐車場に車を止め外に出ると、駐車場脇のちょうどいい所にお土産物屋さんがあったので、そこでトイレを借りることにした。トイレを使わせてもらったので、一応義理にでも土産物を見ようと少し店内をうろうろしたが、何も買うつもりはなかった。わざわざ太宰府まで土産物を買いに来たのではない。お参りに来たのだ。学業成就を願ってお参りに来たのだ。学業成就といっても子どもの学業成就である。おじさんにはもう遅すぎる。"It is never too late to learn." ということばもあるが、やはりおじさんには遅すぎる。おじさんならさしずめぼけ封じの願かけといったところが適当だろう。いずれにしてもお参りが先だ。土産物は買うにしてもお参りの後だ、と店を出た。

すると、駐車場より少し高くなった広い土地に、公共の建物らしい大きな建物が建っているのが目に入った。そしてその土地を囲むフェンスに大きく「筑紫台高等学校」と書かれていた。どこかで聞いたことのある名前だ。何とか思い出そうと記憶をたどっていると、すぐ横に、正確な文句は忘れたが、「感動のドラマ フルスイング」といったような内容の垂れ幕が目に入った。「あっ、そうだ、あのドラマだ」 おじさんは以前にNHKで放送していたあの感動的なドラマをすぐに思い出した。それは「フルスイング」という題名のドラマで、何週かにわたって放送されていた。約30年間プロ野球コーチとして多くの有名選手を育て、多くの球団から引く手数多だった高畠導宏さんが球団からの誘いを断り、高校という教育現場で自分のもう一つの夢を目指して動き出す。それは若者を率いて甲子園へ行き、全国制覇を成し遂げることであった。しかし、プロアマ協定により2年間は高校野球の指導はできない。これを承知の上、社会科の教師として毎日教育に体当たりしていた。そして、とうとうあと1年で野球の指導ができるという時になって、残酷なことに、医者からガンを宣告される。余命半年。60歳のことである。何事にも一生懸命に気力で立ち向かう高畠さんの姿に、教師も生徒も感銘を受ける。残念ながら、結局高校野球の指導ができないままこの世を去るが、生徒たちの心にはいつまでも大きな存在として残っていくことだろう。高畠さんの生き方はまさしく「フルスイング(思いっきり大きくバットを振ること)」そのものだとおじさんは思うのである。

しかし、おじさんはこのドラマのすべてを見ることができなかったので、再放送はないかと調べていると、ドラマのもとになった本を見つけた。門田隆将さんの「甲子園への遺言」という本で、「伝説の打撃コーチ 高畠導宏の生涯」という副題がついている。おじさんはさっそく図書館で借りて読むことにした。その中で高畠さんが生前に言っておられた「伸びる人の共通点」というものが紹介されていた。
伸びる人の共通点
    1.  素直であること
    2.  好奇心旺盛であること
    3.  忍耐力があり、あきらめないこと
    4.  準備を怠らないこと
    5.  几帳面であること
    6.  気配りができること
    7.  夢を持ち、目標を高く設定することができること

おじさんはそれを見て、自分はどうなのか、自己診断してみることにした。

1.おじさんは若い頃から人に対してはあまり素直ではない。人の言動には必ず「ちょっと待てよ」と一度は疑問を投げかける。どんなことでも人の言うことを絶対に鵜呑みにはしない。必ず自分で考え、自分なりの結論を出す。もちろん Yes の場合もあれば、No の場合もある。いずれにせよ、自分で出した結論である。しかし、これは素直でないということではない。何事にもまず疑問を持ち、鵜呑みにはしないということである。何事も鵜呑みにせず、自分なりに考察を加え、自分なりの判断を下す姿勢は、真面目で、真っすぐで、素直である。自分の気持ちに対して素直であるから、自分の気の済むまで考えるのである。

2.おじさんは好奇心が人一倍旺盛である。何でも知りたい、何でも自分でやってみたい、常にそういう気持ちである。どうしても分からないこと、どうしてもできないことは仕方がないとして、自分に可能な限りの手を尽くして知ろうとする、やろうとする。最近の若者は「自分に可能な限りの手を尽くして」という部分ができていないと思う。まだまだ手を尽くしていないのに、すぐに、もう無理だ、と投げ出してしまう。そういう若者が増えているように思う。それにひきかえ、おじさんの好奇心はとどまるところを知らない。実際にはおじさんがいくら手を尽くしても知りえないこと、成しえないことでも、想像力という手を尽くして、どんどん好奇心を膨らませていくのである。

3.おじさんは忍耐力があり、諦めることもまずない。忍耐力がありすぎて、必要以上に耐えすぎてしまうというところがある。耐える必要のない理不尽な事柄でも最後まで耐え切って、その後で初めて、おかしいと思う点を指摘し、批判する。途中で文句を言うのはおじさんの性に合わないようだ。これは諦めないということと通じているように思う。どんなことでも途中で諦めて、投げ出してしまうのは嫌なのだ。どのような結果に終わろうと、最後まで自分にできる限りの努力を払い、自分の納得のいくまでやり抜くのだ。結果は結果にすぎない。そこまでいく過程が大事なのだ。おじさんはそう思う。

4.おじさんは準備周到である。何をするにしても前もってきちんと物心とも準備を忘れない。かなり余裕をもって準備を始め、余裕をもって準備を終える。そして、本番まで少し寝かすのである。寝かせている間に、抜けているものが見つかることもある。それくらい周到である。それでも直前になって、何か抜けていることに気づき、バタバタすることもある。いくら周到に準備をしてもこうなのだから、周到にして周到すぎるということは決してない。おじさんもこのことを肝に銘じて、さらに余裕をもって物心ともに準備を進め事に当たろうと思う。

5.おじさんはとても几帳面である。几帳面すぎると言ってもいい。もう少しいい加減に物事を考え、行動してもいいのではないかと思うほどである。几帳面であるから、何であっても考え行動するのに時間がかかる。人一倍時間がかかる。丁寧できちんとしているのでいいのだが、多くのことを同時にできない。一つひとつ丁寧にきちんと片づけていくというやり方でしかできない。何事もその調子であるから、何をするにも時間がかかる。しかし、それがおじさんなのだから仕方がない。それを半世紀以上も続けてきたのだから今更どうしようもない。几帳面なのはいいが、「過ぎたるはなお及ばざるが如し(Too much is as bad as too little.)」で、几帳面すぎるのは少し直すよう心がけたほうがいいと言われたこともあるが、できなかった。それがおじさんなのだ。

6.気配りとなるとどうだろうか。普通の気配りはできると思う。しかし、細かい気配りとなると、うう〜ん、どうだろうか。女性のような(女性が皆そうだというわけではないが)細かい気配りは苦手である。悪気があるわけではない。ただ、細かいところまで気が回らないだけのことである。男だから(男が皆そうだというわけではないが)その辺は鈍感である。だけど、人のことを思う気持ちは人一倍持っている。人のことを思うがあまり、自分を抑えて、時には自分を犠牲にすることすらある。自分の欲求より人の欲求を優先させる。そのため自分の欲求が前面に出ることはない。常に一歩下がったところにある。まず人、そして自分。おじさんにはそういうところがある。

7.夢はいっぱいある。やりたいことは山ほどある。目標に向かって精一杯努力をする。おじさんは真面目であるから努力を怠らない。しかし、目標が達成できているかというと、努力はするものの、現実にはなかなか難しいものがある。努力が足りないと言われればそれまでだが、目標に向かってがんばる姿勢には尊いものがある。目標を達成できるに越したことはないが、達成できたか否かより、目標に向かって最大限の努力を払うことが大事なのである。「目標を高く設定できること」ということで、高畠さんもそういうことを言っているのだろう。低い目標なら簡単に達成できる。達成するのが難しい高い目標に向かって常に努力を続ける。その姿勢が大切なのだ。すると、自然と目標に達するものだ。

さて、おじさんは自己診断を終え、ふと考えた。自分は高畠さんの言う「伸びる人の共通点」を満たしているのだろうか。自分をよーく見つめてみると、胸を張って満たしているとは言えないが、満たしていないということでもない。ある程度は、少なくとも半分以上は当てはまっているのではないかと思う。それにしても中途半端である。中途半端な満たし方である。だから、伸びる度合いもそれに応じて中途半端な伸び方しかできなかったのだろう。伸びていないわけでもないが、すごく伸びたというわけでもない。やはり中途半端である。しかし、おじさんはそれなりに生きている。それなりに一生懸命生きている。精一杯自分の人生を生きている。それでいいではないか。おじさんはこれからも(この先あまり長くないが)残された人生を精一杯生きていこうと気持ちを新たにするのだった。
(2009)


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